物語は、ストーリーの中に当時の明治のご時世が絶妙に反映されていた。
万太郎の実家は、言わずと知れた高知佐川の峰屋。
老舗の造り酒屋。
植物学教室で仲良くなった2人の学生と話をしているときに、ふと話題に上った政府の税金の話し。
当時、政府は租税の徴収に苦しんでいた経緯がある。
廃藩置県が行われたまでは良かったが、国家を運営するのに必要な財源をどのように準備するかが当面の課題になっていた。
そこで、目をつけたのが酒。
酒は大勢の人が消費するので、そこに課税することができれば間違いのない税収が見込める。
しかし、その実態はかなりお粗末なもので、当時の造り酒屋にしてみれば、厳しい税金の取り立てで経営不振に陥る酒屋が相次いだ。
そんな中万太郎は植物学の雑誌を刊行するための許可を取り付けるために、田邊教授に何とかして取り入ろうとする。
ベタな方法だが、教授が機嫌の良い時を見計らって願い出てみてはと考えるが、学生たちの出来の悪いこともあって、機嫌の良い時などないように思われた。
それでも、心がけていると何とかチャンスがもらえたような。
植物学啓蒙のための活動が、新しい世界への道を切り開いてくれる。
目次
造石税
明治10年に起きた西南戦争が明治政府の転換点だった。
この時、九州地方で西郷隆盛を担ぎ上げた反政府勢力が大きな暴動を起こした事件があった。
この頃、明治政府は発足したばかりで、暴動鎮圧するための軍隊の派遣とか、様々な物資を補給するための必要に迫られていた。
この時、その業務を一手に引き受けて貢献したのが三井財閥。
明治の歴史にも名前が出てくる岩崎弥太郎率いる企業グループになる。
政府が彼らに支払う金額は莫大なものに登ったようだ。
政府はなんとしても、外国に肩を並べるだけの国づくりを至上命令にしていた。
徳川幕府時代の課税は採用するわけにはいかない。
もともと酒造りには明治4年から発令された酒税法に基づいての課税が決まっていた。
それは販売量に対しての税金だったが、それを作った段階での課税に変えたのだ。
造り酒屋はこの重税にあえいでいたと伝わる。
政治家が考える事は今も昔もあまり変わらないようだ。
税金は取れる所から集めればと思っているらしい。
このときの造石税は昭和19年まで継続する。
つまり、戦前はずっとこれで課税されてきたわけで、日本酒の酒蔵はかなり淘汰されたと聞いている。
万太郎たちの思い
植物学教室の仲間藤丸は実家が都内で酒問屋を営んでいるらしい。
その実家の話がちらりと出ていたが、これから主な酒蔵はやっていけなくなると。
これが例の税金の話。
この当時の日本の税金体系を確立したメンバーは何人かいると思うが、
その中に渋沢栄一の名前も入っているはず。
彼の業績は、間違いなく賞賛されるべきものだがこの税制だけはいただけないね。
日本の産業をいたずらに疲弊させただけだと思うので。
峰屋の様子も語られていたが、どうやらおばあちゃんのタキの具合が良くないらしい。
万太郎はそんな中でも植物学の研究で世界を驚かそう、と思っていたようだ。
そのための植物学雑誌の刊行を何とかして成し遂げたい。
教授の許可さえ取れれば、何とか前進することができる。
田邊教授の授業
教授の授業の様子が描かれていた。
最前列で居眠りしていた学生。
事業に身が入っていないと言うよりは鼻から理解できていないんだろうなと思わせる。
機嫌の悪くなる教授。
万太郎は何とかして、雑誌刊行の許可を取り付けたいのだがどうしてもチャンスを見出せないでいた。
万太郎自身も今までの日本のやり方を踏まえつつ、西洋の新しい方法に興味津々なのでさらに見聞を深めたいと考える。
教習はコーネル大学のやり方をそっくり日本に持ち込んでいるのはわかるが、果たして何人の生徒がついていけたんだろう。
おそらく先生ですら、まともに理解できなかった可能性が。
植物学雑誌刊行のために
教授のもとに郵便物を届けに入った万太郎。
教授室の中にあったバイオリンを見て、西洋の音楽についての細やかな疑問を投げかけてみる。
そしてシェイクスピアも話題に。
日本のような勧善懲悪の理論では割り切れない展開があるらしいので、とても興味があると。
機嫌の悪かった田邊教授だが、万太郎の向学心に応える形で、音楽会への参加を許可してくれた。
おそらくこれは鹿鳴館で行われるものだと推察。
かなり遠回りしてる気がするけど、万太郎と寿恵子の別の舞台での再会がすぐそこにあるような気がする。