今週描かれたらんまんは明治26年から明治30年頃までが設定として展開した。
東大の植物学教室に復帰した万太郎は、植物学研究の現状を目の当たりにする。
万太郎が目指した植物学は、植物標本を作って様々な文献をもとに検定作業を行い、必要とあらば名づけ親になっていく。
週の最後の方で語られるが、地道な地べたに這いつくばる作業。
そして、舞台となる東大の植物学教室はドイツから帰った徳永教授の下、新しい研究テーマを追求しつつ、体制がスタートしていた。
万太郎は、従来通り、植物学教室の標本をさらに積み上げることこそが仕事だと言い渡される。
恐々と徳永譲治に聞いてみた、「ドイツはどうだったのか?」
最新の植物学は、顕微鏡を除いたミクロの世界が主な舞台に変化しつつある。
万太郎が地道に行ってきた活動は、どうやら世界の研究の趨勢から見ても時代おくれと揶揄されることも。
教室では、メンバーの入れ替えも進み大窪は非職。
新たにドイツ帰りの細田が助教授に就任。
万太郎は、そんな時に推薦を受けて台湾の学術調査団のメンバーに加わることに。
この時代は、日清戦争に勝利したことで、日本は富国強兵政策がより推し進められることとなり、軍主導で様々な研究分野も牛耳られることになった。
台湾行きでの様子など、万太郎は新たな経験を積み重ね、そして10年以上前から知り合っていた土佐の少年山元虎鉄君を助手に迎え、今までの研究をさらに進化させることになる。
目次
東大植物学教室
植物学教室は東大にあって国家予算で運営されている。
当然のことながら、明治政府の強固なバックパックの下、十分な資金提供が約束されていたと言える。
ただし、国家機関の1部になってしまったからには命令直下で自分流ののびのびした活動ができなくなったこともたしかなこと。
さらには、外国に留学した教授や助教授の経験から研究活動はすなわち勝ち負けで決まると言う厳しい認識が関係者にも求められた。
それは、諸外国での留学生たちが受けた屈辱的な経験によるものと説明されていた。
多分、かなり馬鹿にされたんだろうなと思う。
迫害にハ歯を食いしばって耐えてきた彼らにとって研究で成果を上げることこそが、唯一納得のできる回答になっていた。
台湾学術調査団
万太郎は、岩崎弥之助や植物博物館の里中先生の推薦を得て、台湾学術調査団の一員に選ばれる。
学歴も何もない万太郎にとっては大変な抜擢だと言える。
しかし、それは万太郎の自由な研究を認めてくれるわけではなかった。
どうやら、厳しい命令が待っているような。
ご時世
この頃、日本は日清戦争に勝利して見返りとして台湾を割譲されていた。
平たく言えば、自分たちの領土を分捕ったようなもの。
そこで、台湾の詳しい調査が必要になって、植物なども調査対象に。
白羽の矢が立ったのが万太郎。
しかし、この調査は恐るべき味付けがなされた。
山奥の地域にも分けいるので、安全のために必ずピストルを所持するようにと。
そして、現地の案内人を雇うので、全て日本語で仕事をすること。
実はこのことが万太郎にとっては承服できない条件となっていた。
万太郎は寿恵子と相談した結果ピストルの所持はやめて、代わりに自分自身の植物志図譜をもっていくことに。
実はこれが大正解で台湾で体調を崩した万太郎が生きて帰って来れたのもこの本があったからゆえ。
このことがあって、現地の人たちとも打ち解けることができたようだ。
植物は、その土地で呼び名も変われば使われ方も全く違ってくる。
万太郎は、現地の植物に対して最もふさわしい名づけ親になることを望んでいた。
そのためには、日本語も台湾語も関係ない。
植物学のために身を捧げると改めて決意していた。
万太郎のゆずれないポリシー
今週はあちこちで味どころが満載だった。
植物学教室では羽多野と野宮でついに念願だった銀杏の精虫を発見することができた。
教授や助教授たちが望んでやまなかった成果が今ここにあげられたことになる。
しかしながら、最新鋭の研究方法を目の当たりにしながらも、万太郎の心意気は揺らぐことがない。
自分は地べたを這いつくばって研究を続ける。
植物がどんなふうに生育しているのか、他と照らし合わせて該当するものがなければ、新しく名前をつけて発表する。
自分は純粋に植物学に身を捧げる。
万太郎の一生がここにしっかりと宣言されたと言える。
そして来週の予告編では寿恵子がどうやら本領発揮。
彼女は巳佐登から独立して、自分の店を持つような雰囲気だね。
万太郎は、頼もしい助手を迎えてさらに研究に邁進しそうな雰囲気。
らんまんは泣いても笑っても今月末には終了する。
どんな終わり方になるのかも、大体の見当はついているが、日本で初めて世界的に有名な植物学者として知れることになった万太郎は、自分の人生を貫くことになる。