どうする家康は物語はいよいよ終盤を迎えたと言える。
先週のエピソードで、関ヶ原の戦いが終了した。
この後、徳川家康の寿命は15年とちょっと。
徳川家康の最後の大仕事、豊臣家の殲滅作戦がもうじき始まることになる。
徳川家康は桶狭間の戦い以後 多くの家臣たちに支えられてここまで生きながらえてきた。
一言で表すなら強運以外のなにものでもないだろう。
しかし、晩年を迎えた家康にとって残りのやるべきことを考えれば、自分自身の余命を考えないわけにはいかなかったはず。
特に、この時 国内は豊臣家に秀吉の跡取りとなる秀頼が健在。
さらには秀頼の母茶々は徳川家康を全く信用していないような状態。
そして関ヶ原の戦い以後、改易された様々な武将たちは豊臣秀頼を総大将として仰ぎ不穏な動きを見せていた。
どうする家康が描き出す世界観は今までの時代劇とは明らかに異なっている。
様々な俳優たちの名演技に頼るところも大きいが、登場人物たちそれぞれが何を考え何を目標に進むべきかが最も注目されるところ。
今日は家康の信頼していた家臣たちの引退と新たに台頭する若い世代の間で、年老いた家康が何をなすべきか逡巡する姿が詳しく描かれた。
目次
関ヶ原の戦いの後
徳川家康は関ヶ原の戦いの時、万全の体制で戦に臨めたわけではない。
関ヶ原の時、家康の本軍38,000 は江戸から秀忠が連れてくる手はず。
つまり、徳川家康は関ヶ原の戦いにおいて全く不十分な備えで、万全の体制を敷いてきた石田三成と対峙したことになる。
結論から言えば、それでも勝ててしまうところが徳川家康の戦国武将としての本当の値打ちかもしれない。
普通は絶対に勝てない戦いになるはずだが、数多の刃の下をくぐってきた家康は勝機を見いだす機敏さにおいて、他の追随を許さぬものがあった。
それ故、戦に明け暮れた人生をことごとく勝って今日まで生き延びてきた過去がある。
そして家康本人も強く意識していたことだが、家康が今持ち合わせている戦国武将としての様々な能力は、子孫には伝えられないことがよくわかっていた。
自らの跡継ぎを二男結城秀康ではなく、三男秀忠に譲ることを決めた家康。
おそらく優秀さの点では、次男秀康の方が勝っていたことを知っていたにもかかわらず、秀忠を指名。
そこには家康らしいしたたかな計算が。
跡継ぎとして求められる要素は優秀さだけではない。
むしろ平凡な頼りないくらいでも十分に務まる。
むしろ、優秀な跡継ぎはその跡継ぎ1代で子孫は途絶えてしまう場合がほとんど。
家康は歴史から様々なことを学んで、しっかり理解していたと思われる。
家康と秀忠
戦国ドラマを描くときに初代徳川家康に対して、二代将軍徳川秀忠は平凡で頼りない武将の印象が強い。
これが歴史的に本当かどうかは別として、おそらく後世の者たちが大勢そのように理解しているものと推察。
しかし、徳川家康が存命の頃はさすがにでしゃばる事はできるはずもないので、家康が死去した後は、秀忠は本領を発揮している。
彼は徳川家康に負けず劣らずの武断政治をしたことで知られる。
決して甘やかされたおぼっちゃまではない。
今日の物語の中でもことさら家康は秀忠につらく当たっているように描かれた。
それは跡継ぎとしての心構えを考えればやむを得ないことだったのかもしれない。
どうする家康では、歴史的な考察も取り入れながら時代劇としての面白さも追求していると思われた。
徳川家家臣
徳川家康には優秀な家臣団がいた。
彼らがいたからこそ、家康は今まで活躍できたと言って過言ではない。
しかしその優秀な者たちも老いにだけは勝てない。
榊原康政と本田忠勝が引退を申し出たことに対し、家康は絶対に許さぬと言い放った。
徳川家康の四天王と呼ばれる武将たちは皆家康よりも先に亡くなっている。
特に、井伊直政は関ヶ原の戦いの翌年に没している。
徳川家康にとってこれらの側近たちは、自分の身内以上に大切な存在だったようだ。
今日の物語に登場していた榊原康政と本田忠勝はその中でも象徴となる存在だったと思う。
家康は、自分にとってかけがえのない家臣団を自分の後継者に引き継げないことを知り抜いていた。
自らの側近は自らで決めねばならぬ。
少なくとも天下人になれば好むと好まざるとにかかわらず、真っ先に自らの手足となって動く家臣を作らねばならぬ。
物語の中でことさら跡取り秀忠につらく当たる家康は 自分のいなくなった後を考えると気が気でなかったに違いない。
家康に残された大仕事
徳川家康は言わずと知れた江戸幕府の初代将軍。
そして重大な決断として、将軍職は自らの家計において世襲することを宣言。
これは豊臣家に対する新たな宣戦布告でもある。
豊臣家とは共存できない。
それこそが家康のたどり着いた結論。
家康は、豊臣家を滅ぼさなければならないと決意したようだ。
世の中には支配するものが2人いたのでは都合が悪いと。
描かれた物語のタイトルコールは今日から一新されたようだ。
今までのオーケストラ中心の演奏ではなく、ピアノによるものに大幅に変えられたような気がする。
時代劇ドラマとして民放も含めて、ここまで丁寧に描ける物語は少ない。
徳川家康の集大成がこれから始まろうとしている。