いよいよ最終回になったブギウギ。
物語はいつもの通り15分の放送枠しかない。
今日は特別編らしくタイトルコールなしで物語が進んだ。
そしてタイトルコールなしの意味が本編の中にちりばめられていることも納得。
ブギウギは福来スズ子という格好の表現方法を得て戦前戦後の日本を励まし続けた。
主人公はあくまでもスズ子だが、彼女の周りには大勢の必要不可欠な仲間が。
今日はこの物語の最初からのエピソードに登場した人たちが、直接間接を含めてほぼ全員登場してきたのではなかろうか。
スズ子は大阪のとある銭湯の娘。
それが縁あって歌うこと、踊ることを志した。
最終的に羽鳥善一に出会ったことで彼が愛して読まなかった音楽の形態ブギウギに到達。
ブギの女王として地位も名声も欲しいままに成功を。
しかし、ブギウギの表現にはちょっとした条件が。
それは明るく楽しい音楽には違いないが、表現するためにはふさわしいだけのモチベーションと体力が求められる。
平たく言えば年齢制限がありそうな。
スズ子は彼女なりの感性で自分にそろそろ終わりの時が近づいていることを感得。
紆余曲折があって、今日放送のお別れコンサートに至る。
物語をまとめ上げるには1秒2秒の時間も惜しい。
特に音楽の部分で、番組の音楽担当服部隆之が自ら指揮棒を振っていたね。
そして、タイトルコールも省略。
人形劇なので昨日すでに伏線回収はなされていた。
脚本家の一環した思い入れは、義理と人情で世の中が出来上がっていることを表現。
義理と人情を見事に体現したスズ子は伝説に。
目次
福来スズ子お別れコンサート
昨日あたりから番組公式のXにはたくさんのオフショットがアップされていた。
既になくなった人たちも大勢。
USK歌劇団のメンバーも忘れられない
花湯のゴンベエさんの身元がわかったときのエピソードも素敵だった。
今日は最後ということで放送されたドラマの内容も、これらXの投稿も見事にかぶっているところが心にくい配慮。
物語の最初から登場していた人たち
スズ子には音楽のベースとなるバックボーンがある。
それは他ならぬUSKのかつての仲間たちだろう。
そして福来スズ子になってからもたくさんの出会いがあって、
忘れられないのがアメリカ兵と結婚した小夜ちゃん。
彼女も最後に見事に登場してくれた。
これらの人たちのつながりこそが、スズ子の立ち位置となる。
幼なじみも、かつての愛した人もすべてはスズ子のパフォーマンスの土台の部分。
スズ子にとって愛助とのエピソードが人生の全てだったかもしれない。
彼の励ましによって歌手として全力で生きることを誓ったスズ子。
その務めは見事に果たされたと言って良いだろう。
人生の全てが歌手活動に費やされたわけではなかったが、少なくとも果たすべき役割はしっかりと果たせたはず。
東京ブギウギ バラードバージョン
ブギウギが音楽をテーマにしたドラマな事は最初からわかっていた。
ブギウギは、物語の最後で服部良一の音楽センスを孫がみごとに表現して見せる。
音楽担当自らが物語に登場するのも粋な計らいだと言える。
せっかくなので紹介させていただこう。
もともとリズミカルな曲なので、バラードに変換する事は想像しやすい。
バキバキのヘビメタミュージックをアコースティックなギターバージョンで演奏することも、著名な人たちはそつなくこなしたりする。
今回は服部良一の音楽センスを孫が見事にバリエーションの形で表現。
音楽魂がきちんと引き継がれているなぁとつくづく感心。
最後にふさわしい演出も表現されて、物語成功の一端を担っていた。
福来スズ子は伝説に
スズ子はこのコンサートを終えた後は、女優として活躍することになる。
正確に言えば他の芸能活動もやったので、今風に言えば普通のタレントと呼べるのかも。
テレビのコマーシャルで私たちが見かけた笠置シズ子は大阪のちょっと太ったおばさんでしかなかったが、彼女がかつて一世を風靡した大歌手だったことをすっかりリセットしていた事は驚き。
この頃からブギは役目を終えたような。
その後はマンボが流行ることになるが、所詮は流行歌なので流行ってなんぼの世界。
歌謡曲と呼ばれるジャンルは、日本風の演歌の味付けも取り込みながら独自の発達を遂げることになる。
東京オリンピック(1964年)の数年後にはグループサウンズの時代がやってくる。
そして外国ではイギリスにビートルズが。
音楽は様々な表現方法を試みながら至るところで伝説が作られた。
福来スズ子は戦前戦後を通して日本の歌謡界に伝説として今でも語り継がれる。