昨日、最終回の放送を終わったブギウギ。
最終週の物語はスズ子がを引退発表した後からお別れコンサートに至るまでの1連の流れが描かれた。
スズ子は歌手としてのパフォーマンスに譲れないポリシーが。
お客さんに最高のパフォーマンスを届けたい。
毎日繰り返す活動は、ともすれば体調に左右されやすい。
それでもステージに立ち続ける以上は、自分が納得できるものを披露したい。
スズ子の気持ちとしては、どうしても譲れないものが。
さて、長く歌活動をしてきたスズ子にも体力的な限界がやってくる。
もちろん体力とは別に歌うことへのモチベーションも絡んでくる。
昭和31年大晦日のオールスター男女歌合戦で新人歌手水城アユミのパフォーマンスは、スズ子のこれからを決定づける強烈なインスピレーションを投げかけた。
自分の歌手活動はこの辺が限界なんだろうと。
1人で悩み逡巡した挙句、引退表明を。
様々な人たちの意見を取り入れながら、自分自身の気持ちに揺るぎは無い。
最後に残った作曲家羽鳥善一だけは特別な関係で、それぞれ二人三脚でやってきた自分たちの芸術に決別する必要が。
善一からの提案で引退会見だけではなく、お別れコンサートが必要だと。
お別れコンサートでは今までお世話になった大勢の人たちに囲まれ、全力でパフォーマンスするスズ子の姿。
彼女が子供の頃から受け継いできた義理と人情の世の中のシステムを見事に体現。
目次
作曲家羽鳥善一の操り人形
最後の1週間でスズ子のこれからの生き方が、くまなく紹介されただろう。
今までとは違った道に進むので、どうしても精算しなければならない過去が。
スズ子が歌手活動で歌ってきたのは善一の曲のみ。
この2人は二人三脚以上に強い絆で結ばれていた。
ブギウギを初めて日本に持ち込んだのが羽鳥善一なら それを広く世の中に知らしめたのは、福来スズ子。
2人が作り上げた音楽こそ、戦前から戦後にかけて、日本中の大勢の人たちを元気付けることに。
ブギウギは福来スズ子を主人公に様々な人たちとの関わり、音楽的なセンスについて語られることになる。
物語で歌の果たす役割はとても大きかった。
役割を一手に担っていたのが服部隆之。
羽鳥善一のモデル服部良一の孫に相当。
ブギウギがどれほど音楽にこだわった物語なのかイヤというほど納得させられる。
福来スズ子の原点
物語の設定で明らかになることだが、スズ子は花田家の実の娘ではない。
彼女にはちょっとしたいきさつがあって、よそからもらわれてきた子供と言う設定になっていた。
もらわれてきた子供とは言え、我が子のように可愛がられて育ったスズ子。
物語の中では戦中戦後のエピソードで家族は皆この世を去ることになる。
スズ子は1人残った花田家の子孫として家族の大切さを誰よりも強く感じていたに違いない。
ブギウギの後半のエピソードの中で、決して忘れられないのは愛助との恋愛、そして彼の忘形見愛子の子育て。
物語の最後に登場していた愛子はこのかちゃん
スズ子にとって家族の存在こそが生きるモチベーションだったに違いない。
新しくできた家族は自分のこと以上に大切に考えていた。
それは物語を見ていればひしひしと伝わってくる。
義理人情は感謝の心
育てられた環境で人格が形成されるとよく言われるがスズ子の場合、本当の親でない育ての親に育てられたからこそ強く感じられた部分じゃなかろうか。
自分の娘の子育てこそが優先されるがあくまでも建前で、スズ子にとって縁のある人たち全てが大切な人たち。
スズ子の人となりはあちこちに現れていた。
周りの人たちに元気を与えるために常に全力投球してきたスズ子。
しかし、パフォーマンスにはどうしても年齢制限が伴うのも事実。
お別れコンサートは、スズ子の今まで支えてくれた人たちへの感謝の気持ち、恩返しだったと言える。
日本をことほぐ
物語は福来スズ子の人生を描きながら、日本が最も苦しい時代を励ますために語られたと言える。
そして当たり前のことだが、
日本に必要な励ましは今も変わらないのでは?
戦争前後の悲惨な時代は歴史にももちろん残ったことだが、今も苦しい歴史は刻まれ続けている。
ブギウギは福来スズ子の音楽活動を通して、日本への応援歌として語られた。
物語のテーマが音楽だったのは、朝ドラではエール以来だっただろう。
あの時の作曲家、古関裕而の活躍した時代とも物語は被っていた。
今後様々なジャンルでこのような応援歌が作られることを大いに歓迎したい。