今朝のなつぞらを見たところ、新たな登場人物が加わって、物語がより実際のものと感じられるように。
この朝ドラの存在感はなんといっても実在の人物がモデルで、そのことを微妙に踏襲していること。
宮崎駿がモデル
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この写真を見たときになぜその役で彼を使ったのかいっぱつで納得。
ビジュアルが全く同じですよね。あまりにもよく似ているとは思いませんか。
彼はなつたちの後輩アニメーターになるんですが入社試験ではトップで合格とのこと。
もともと才能のある人とは思っていましたが、絵を書くときの素早さとか、組み立ての速さとかそれはすごいですよね。
そのようなことを多分に意識して物語は構成されている。
彼は映画テレビなのでしょっちゅう見かける有名俳優ですよね。
いろんなものをちょこちょこ見ている私からみると、“永遠のゼロ”での好演が印象的でした。宮部久蔵の奥さんのために一身に尽くす役柄。
あの映画は原作も含めて私のお気に入り。
さて、ほかでは映画版の”寄生獣“に出てましたよね。
今回の朝ドラでは、宮崎駿がモデルなので大体見当がつくんですが、
やっぱり興味があるのは、あのまゆゆと結婚するのかな?
あまり勝手な想像をすると他の視聴者さんに叱られそうなので。
実生活ではこちらの2人が結婚をすることになってます。
神地くんの自由奔放さ、破天荒さ。
これからの“なつぞら”を牽引するように設定されてますね。
ヘンゼルとグレーテルを改ざん?
短編映画でヘンゼルとグレーテルをやろうとするときに、短い時間内での終わり方を考えたとき、魔女が暖炉の中に突き飛ばされて殺されてしまう設定は重過ぎるのではないかとスタッフ全員から意見が。
そこで考えられたのが、ヘンゼルとグレーテルが魔女から逃げ出すという設定。
しかし追いかけられてまた捕まってしまうとの事。
この時に、さらに設定はひねりを加えられて、その魔女の親分とも言うべき森の悪魔が登場。
その親分の狼の餌にヘンゼルが差し出される設定。
ちなみにこのストーリーの最後の方で、ギリギリの土壇場で魔女が悪魔を裏切ってヘンゼルもグレーテルも助け出すという話。
なるほどすごい改ざんですが、さすがに麻子さんは拒否反応。
脚本も決めずに勝手な想像を膨らませて一体物語はどうなっちゃうのか。
しかも複雑に入り組んだ物語を短い時間で表現できるのかどうか。
アニメーターならば誰もが感じる最初に起こりうる疑問をついてくる麻子さん。
麻子さんの憂うつ
実は麻子さんは坂場君とは最初からそりが合わなかったのです。
従来通りの手法で脚本をきちんと描いてその物語に絵をあてがっていきたい麻子さんと 、アニメーターの想像力から物語をこしらえようとする演出家坂場君。
お互い経験していない世界へ踏み込もうとする故の軋轢が。
ここで華々しく登場してくるのが神地君。
彼はとにかくこの制作過程を存分に楽しもうとしているようだ。
神地君曰く「面白い!」
ほとんど泣きそうになる麻子さん。
この辺のやりとりを見ていて思わず吹き出しそうに。
当時最新のキャリアウーマンとして雑誌に取り上げられたこともあるくらいの方。
しかしアニメーターとしては従来の手法を踏襲しつつ作画をするやり方にこだわっていたようだ。
彼女の居場所は、この後、東洋動画に出入りをするようになる、当時売れっ子の漫画家手塚治虫。
彼が出現しなければならない。
手塚治虫は中村和子さんが大のお気に入りで、すぐに虫プロに引き抜いたのである。
そして彼女が手がけたアニメが日本初のテレビ放送のアニメ鉄腕アトム。
他にも虫プロが当時作成した様々なアニメは彼女がその制作過程で活躍していたのである。
実際のエピソードではこういったことになるのだが、脚本家はここら辺のカラクリを事細かに調べあげているはず。
どのように活かしてくるのだろうか。
短編映画はどうなるの?
最近のアニメや映画ではポピュラーなやり方 絵コンテ
なつぞらのなかで神地君の描いた絵コンテは多分こんな感じだったのでは。
みるとわかるのだが、明らかに脚本の役目を果たしているよね。
調べてみると、この絵コンテがしっかりしていると動画を作った後にほとんど編集が必要ないぐらいらしい。
そう言われてみると優れものアイテムなのだが、しかしながら著名な映画監督は皆この方法を採用していて、黒澤明なども自らの台本と同時にこのアイテムを使っていたようだ。
黒澤明は実際の絵を描いていたようだ。 4コマ漫画のような絵コンテではない。
しかし映像のイメージを最初からきちんと作り上げていたところが監督らしいところ。
言葉でないビジュアルをイメージとして描くやり方は宮崎駿も同じだったようだ。
この短編映画に関わってくる神地君。
なつぞらを見ていると、15分枠の中では一体誰が主役なのかわからないぐらいのときがある。
何せ、実際のモデルが存在している。
見ている側も、あらかじめ自分の物語を作っちゃっているところがあるようで。
なつぞらへの期待感がますます高まるというもの。