今週からさらに一歩進んだエピソードが描かれるおちょやん。
昭和16年12月8日太平洋戦争が始まったとされるが、戦況は日にちが経つにつれて徐々に悪化。
国民全体に疲労感が漂い、生活もままならない状況が続く。
鶴亀家庭劇も客の不入りにあえいでいる状態。
そして、あの芝居茶屋の老舗岡安もついに店じまいの時がやってくる。
目次
太平洋戦争のもたらした現実
愛国ものの出し物は最初はずいぶんお客さんに受け入れられていたが、やがては飽きられることに。
楽屋で劇団員が集まって打ち合わせをしていたときの、千之助兄貴の一言が言い得て妙だったかも。
芝居がつまらんからの
愛国ものばかりで筋書きも笑いのツボも毎回ありきたりになっていた。
あの高城百合子さんも、
お涙頂戴のつまらない芝居など見たくもないわと話していたが、
今その通りになっているのだろう。
そして音楽といえばあいも変わらず軍歌一色。
軍国主義を鼓舞する歌をどのように並べてみたところで、聞こえてくるメロディーも歌詞もそのうち同じになってくるのかも。
今日もあの大作曲家古関裕而の「露営の歌」が劇中の中で流れていたね。
さらには劇団員の中の若い団員たちは召集令状で皆兵役に服することに。
主要なメンバーが1人欠け2人欠けして、芝居を続けることもだんだん厳しくなっている。
それは鶴亀撮影所全体の問題でもあった。
社長は何とかしてがんばって舞台を続けようと意気込んでは見ても、肝心の舞台を演じる側では疲労感が。
福助君とミツエちゃん
福助君はトランペッターとして活躍していて、福富は音楽関係の喫茶店兼楽器店で繁盛しているような。
しかし時代の波は厳しく押し寄せてきていて英語に関わるものは敵性外国語として排除される運命に。
まっさきにジャズが槍玉に。
喫茶店の中も全ては軍歌一色で埋め尽くされることに。
福助君は軍歌を演奏することが嫌で嫌でたまらなかった。
彼が愛して止まないのはジャズ。
この時代は間違ってもジャズなど演奏できるはずもなく。
そしてこともあろうに福助君は軍歌の演奏を拒んだ経緯があるそうな。
その結果、彼には召集令状が届くことになる。
召集令状
福助君は自分が軍に召集されることできちんと生きて帰ってこれるかどうかが心配でならないようだ。
彼にとって大切なのはジャズを演奏することよりも、まず妻のミツエちゃんと息子の一福君のこと。
家族を残して戦場に旅立って、帰って来れなかった場合、そのことを心配するあまり一平君の所へ駆け込んできた。
羊羹を手土産に持ってきてニヤニヤしていれば千代ちゃんに勘繰られて、事情を話さなければならなくなる。
気持ちの上で決してうしろぐらい事は無いけれど、自分の大切な家族を任せられるのはこちらの家庭しかないと心に決めたようだ。
福助君の願い
自分の家族のことを他人に託さなければならない切実な事情。
この思いを考えると、ドラマをぼんやり見ていながらも切実なものを感じてしまう。
一平君も千代ちゃんも返す言葉を失ってしまう。
岡安では、同じ内容の話をミツエちゃんが自分の両親に話していた。
ご時世とは言え、驚くほど切羽詰まった話になってしまう。
娘のそんな話を聞いた後で、岡安のごりょんさんは福富に挨拶に出向く。
お菊さんに向かって語りかける。
姉さんにだけはきちんと話しておきたかった。
岡安は店じまいさせてもらいます。
今日の物語はそこまで。
もう芝居小屋自体がほとんど流行らなくなっている。
昼間っから芝居を見てのんびりできるような人などいるはずもないのだ。
時代は戦争の真っ只中。
当時の合言葉に1億総火の玉とか物々しい文言が町中に溢れかえっていた。
芝居のようなほっこりするようなアイテムは時代にはまるでそぐわなかった。
こんな時代の中、それぞれの興行主たちはどのように事業を存続させていったのか。
余談になるが寛治君のモデル藤山寛美は中国戦線に慰問の劇団員として派遣されている。
彼は戦争経験があって終戦の時は捕虜として中国にとどまったのだ。
そんな厳しい時代がおちょやんの中でエピソードとして描かれるだろうか。
間違いのない史実なので、何らかの形できっと物語の中に登場すると思う。
ドラマのほっこり感とは裏腹に、彼らの時代背景は驚くほど命がけだったようだ。