昨年から見ようとしてなかなか叶わなかった映画がある。
「ボケますから、よろしくお願いします」
これは広島県呉市に在住のとある家族が認知症と向き合いつつ日常を記録したドキュメンタリー。
国の認知症政策にも大きく取り上げられ、介護関係の世界ではかなり有名な作品と言える。
この映画を監督企画制作して、しかも語りや出演もこなしていたのが、娘さん
信友直子さん
映画は彼女の両親について2014年から2017年にかけて記録。
認知症をめぐる様々な出来事を驚くほどの冷静さと、暖かさの中で描ききった。
認知症に関しては、私も決して造詣がないわけではない。
しかし、今日の1時間40分ほどの映画を見させてもらって、改めてその大変さが納得できたと言える。
とても大きなテーマなので、ブログとして残すことに。
目次
クリエイター信友直子
彼女は1961年呉市の生まれ。
両親の影響を受けて、映像関係や文字を書く仕事などに造詣が深かったようだ。
小さい頃から、自分が興味のあることやるべきことをのびのびとさせてもらえていたらしい。
そしてなんと東大の文学部卒業とあった。
少なくとも誰彼合格できる大学でない事は素人でもよくわかる。
大学卒業後は森永製菓で広報関係の仕事をしていたと聞く。
ちょうどグリコ森永事件の頃で、会社の宣伝その他はかなりデリケートに扱う必要が。
コマーシャルなど映像関係の仕事を扱ううちに両親の影響もあったのだろうか、
映像を撮影したり編集したりなどのクリエイターとしての分野に進出することに。
フジテレビ関係のディレクターなども経験し、映画監督も作家もこなす。
さらに調べてみて分かったことだが、彼女は独身で、結婚する暇もないくらい仕事に打ち込んできたと聞いた。
そして、もう一つ重大なポイントは彼女自身が大きな病気(乳がん)で手術を受けていること。
又、外国旅行中に大怪我をして半年間ほど入院していたことなど、人生の中でいくつか命に関わるような大きな事件に遭遇している。
その時 彼女を支えてくれたのが、今回アルツハイマー病で認知症になってしまった
お母さん文子さんだったようだ。
彼女自身のナレーションで語っていたが、
“自分は母親の影響を強く受けている”と。
老夫婦の物語
夫良則は大正9年生まれ、妻文子は昭和5年生まれ、10歳違いの老夫婦。
夫は、本の虫と呼ばれるほどの活字大好き人間。
ちょうど若い頃、戦時中だったので陸軍で仕事をすることになったが、本当なら文学者としての道を歩みたかったらしい。
映画の中でも何かわからない歌をつぶやきながら新聞の隅々まで目を通す。
活字なしでは到底生きていけないタイプの文系人間。
妻は若い頃から習字に興味があって筆の腕前は全国でも入賞するほどの凄腕。
さらには複数のカメラを駆使して写真撮影するなどその趣味は多岐に渡っていたが、なんといっても映像関係には相応のこだわりがあったようだ。
夫婦が若い頃の写真には彼女が被写体になっているものは少ない。
それはカメラを持っていたから。
このお母さんが2014年ごろから物忘れがひどくなって検査をしたところアルツハイマー病なことが発覚。
つまり、認知症に罹患した。
映画はこのお母さんが2017年の正月、呉港で打ち上がった花火を見ながら家族に、
あけましておめでとうございますと挨拶。
その後ユーモアたっぷりに、
ぼけますので、よろしくお願いしますと
このわずか數秒間のエピソードが作品のタイトルに採用されている。
実はこの場面が描かれたあたりからドキュメンタリーの内容は深刻度を増した。
私は個人的に認知症関係のボランティアをさせてもらっている。
多分、普通の人よりは詳しいだろうと厚かましくも思っていたが、今日の映画を見て思い知らされたことが1つ。
百聞は一見にしかず。
現在進行形で向き合っている当事者や家族たちは想像を絶する苦労の中で日々暮らしていると言う事。
認知症患者の特徴に感情表現がコントロールできなくなることが挙げられる。
まさにそんな状態がドキュメンタリーとして克明に報告されていた。
怒りの気持ちや、悲しみに浸ることなどがオブラートなしに直接表現されてしまうのだ。
若い頃はあり得なかっただろう夫婦喧嘩の様子も描かれていた。
妻は、自分が役に立たなくて迷惑ばかりかけることどうしようもなく自身を卑下していた。
周りのものがそんな事はないといくら言い聞かせても全く聞く耳持たず、自分の殻の中で延々と苦しみ続ける。
こうなると説得とか言い聞かせるなんて事は全く通用しないし、周りのものも含めてひたすら苦しむことになる。
映画の中で様々な役所関係の人たちの様子も描かれていたが、感心したのは家に時々やってくるヘルパーさん。
家事を手伝う仕事が本業のはずだが、とにかく認知症患者の事や家族のことを第一に考え、そこでのやりとりに全神経を集中していることがよくわかった。
最初に取り組んでいたことがどう信頼関係を取り持つか。
その時は受け入れられても、ほんの数分後には誰かが訪問してきたことすら忘れてしまうのだ。
根気と、相手を思いやる熱意。
両方が損われることなく継続しなければならない。
認知症をめぐる様々な情報
この映画が語る事は、年取ることがどんなことなのかを克明に描いていた。
誰にも迷惑をかけずに1人で年老いていく事はありえないことだと映画は教えてくれる。
そして、必ず誰かの支援が必要になってくることも好むと好まざるとにかかわらず受け入れるしかない。
映画の中での夫は要支援3以上に相当するだろうか。
妻は要介護3以上が想定されると思う。
普通は施設に入ったほうが楽なんだが、そこは現実問題としてそれぞれの意向や、施設が果たして空きがあるかどうかも関わってくるので、簡単に右から左の問題にはならないだろう。
しかし、トータルで言える事はこの仕事に関わる人たちは役所の人もさることながら、実際に施設で働いたり、ヘルパーで働く人たちには相応の覚悟が求められる。
認知症患者の人たちは、感情表現も思い通りにならないし、物忘れなどおよそ日常生活をまともには送れない状況にあるが、その人たちと違和感なく付き合わねばならない。
付き合う側のストレスや疲労等はあらかじめ考慮されていないのだ。
明日は我が身
2020年文子さんは脳梗塞の後長く入院して亡くなってしまった。
映画が上映されてから2年ないし3年後と思われる。
お母さんが亡くなった時に、夫と娘は感謝の気持ちを込めて短冊に気持ちを込めた。
映画は信友直子さんのとても冷静だが、温かみのある描き方で最後まで目を離すことなく見ることができたと思う。
最新の研究では、65歳以上の人の場合、5人に1人は認知症とされる。
おそらく当の本人は気がついていない。
さらには自分の周りの親しい人たちの輪を考えてみたときに、その中の誰かが認知症だと思って当然だと思う。
知らず知らずのうちに間違いなく世の中の核心部分に侵食し始めている。
映画を見ても見なくても、認知症に関わることから関わりを断って生きる事は不可能な時代がもうすぐそこに。