物語は、やっとドラマらしくなってきたかもしれない。
スズ子を演じている趣里の演技スタイルも、少しずつ明らかになってキャラクターがはっきりと際立つように。
歌うこと踊ることが大好きでたとえ誰かに勝てないまでもこの道を進むしかない。
梅丸少女歌劇団は、世界不況の煽りを受けて経営が厳しい状況に陥っていた。
そんな中、今までと同じ演目ながらも、演出家を変えて新しいことにチャレンジする歌劇団。
演出家に抜擢された大和礼子はここへ来て、ラインダンスをやりたいと言い出し始めた。
すべての催し物が終わった最後に全員が並んで行うダンスは、かなり見栄えがするだろうと思う。
しかし、稽古に励む団員たちはそろそろ脱落者も出始める頃。
一切の妥協を許さない厳しい稽古は弱い立場にあるものから少しずつふるいにかけ始める。
スズ子と同期の和希は稽古を無断欠勤することが長く続いていた。
そしてついに辞めたいと言い始める。
必死で止めようとするスズ子。
今日のドラマの中で、最も見ごたえがあったのは、和希とスズ子のやりとりに団員全員が加わって結束を高めるシーン。
団員たちそれぞれは自分の実力がどれほどのものなのかはある程度気がついている。
先輩たちは後輩に遅れを取るわけにはいかない。
それぞれのメンツや立場なども考えるとただ稽古するだけでは済まない。
厳しい現実もちらほら。
団員たちが苦しんでもまとまろうとする中、梅丸歌劇団の経営陣は厳しい労働条件を突きつけてきた。
目次
ラインダンス
大和礼子はみんなが楽しく頑張ることこそが目的だと語っていた。
チームワークを見てもらうために、演目の最後にラインダンスを踊ることで劇団員の結束をアピールすることができる。
一糸乱れぬラインダンスは見ていても、圧巻。
もちろん実物を見た事はないが、テレビなどでは時々見かけることが。
おそらくかなり厳しい訓練をこなさなければあんな風にはならないだろう。
一人ひとりのポテンシャルもさることながら、何よりも全体を1つにまとめ上げる意識の高さはそれぞれが気をつけるしかない。
口では簡単に言えるが、実際にやれば大変なことだとよくわかる。
団員たち
和希が辞めたいと言い出したことで、全員の気持ちがぐらつき始めていた。
厳しい稽古と厳しい現実。
稽古をすれば、誰もがうまく同じように演じれるわけではない。
100人いれば、100通りの結果が待っているものと言える。
和希が本当はやめたくないことが話し合った結果よくわかった。
和希の本心を聞くことができて、団員たちは結束を高めることになった。
ラインダンスは梅丸歌劇団の団結の象徴みたいなもの。
そう思った時、みんな再び稽古する気になる。
続ける意味
和希の本音を引き出したのはスズ子かもしれない。
お互いどうしても仲間や先輩たちに遅れをとってしまう。
後輩にすら抜かれてしまう。
それは先輩として埋め丸歌劇団の一員としてどうしても受け入れられない。
それでも続けるのはなぜ?
好きだから辞めるわけにはいかへん
それが初めから一貫して語られてきた。
スズ子の実家はなの湯でも同じようなことが話題に。
たとえ落選し続けていてもどうしても止められないことがあると語っていた。
自分が大好きなことを諦めるのは相当勇気がいる。
自分に重ね合わせて考えてみるスズ子。
和希もよほどの覚悟があって辞めたいと言い出したはず。
自分も大した取り柄があるわけでもなく、どうしてこんなに頑張って続けられるのかいまひとつよくわからない。
好きなものはしょうがないとしか言いようがないかな。
キビしいご時世
1929年世界恐慌の煽りを受けて、日本でも不況が蔓延し始めていた。
第一次世界大戦後の好景気はわずかな期間。
この後、日本の不景気は泥沼の状態に至るものと思われる。
梅丸少女歌劇団では、経営危機を乗り越えるべく思い切った手を打たざるを得なかった。
会社の要求は人員削減と賃金カット。
団員たちは言ってみれば芸術家なので、お金の事にはあまり詳しくなかった可能性が。
しかし、自分の給料が減ってしまうとなれば、はいわかりましたということにはならないだろう。
実はこの辺のことが歴史にもしっかり残っていて、会社はこのことで大ナタを振るわざるを得なかったのだ。
もしこの物語が史実を忠実になぞっていくとすれば、団員たちの1部が劇団を止めざるを得ない。
調べてみると、会社が解雇したのは驚くような重要人物。
果たしてそのように描かれるかどうかは物語を見守るしかない。
この辺のところが調べればすぐにわかってしまうところが昭和初期の歴史のひとこま。