今週描かれるブギウギにはおよそ楽しげな話題はなさそう。
時代は昭和14年、太平洋戦争に突入しようとするまさにその時。
スズ子には気がかりなことがいくつかあった。
1つはご時世を受けて、今まで通りの舞台が難しくなってきたこと。
演出家からは地味にしてほしいと指摘を受ける。
しかしスズ子が演じるのはどこまで言っても楽しいブギウギ。
それを控えめにとか地味にとか言われてもはっきり言ってやりようがないだろう。
そんな中、弟の六郎から手紙が届く。
弟には招集礼状が届いたとのこと。
そして母親の体調が未だすぐれないこと。
さらには今日の目玉となるエピソード、六郎がスズ子を訪ねてわざわざ東京までやってきた。
入隊する前にお世話になった人たちに挨拶して回りたいと言う。
今日のエピソードの中心になるのは、物語の初めの方で描かれた六郎とスズ子の姉弟の切ないやりとり。
六郎は出征の前にスズ子にだけ本心を打ち明ける。
やっぱり死ぬことが怖い。
どんな人間だって死ぬことを恐れない人はいない。
物語の最後では、ついに大阪から「ハハキトク」の電報が。
すぐに大阪に戻るべきか?、それとも東京で仕事を優先するか?
スズ子の下した決断は?
目次
六郎……
六郎とのやりとりは、切なく辛いものだった。
スズ子の下宿先で食事に舌鼓を打つ六郎
姉と2人きりの夜を過ごす六郎。
何気ない会話を続けるうちに本音が出る。
本当は戦争には行きたくない。
死ぬのが怖い。
死ぬ時はきっと痛いんだろうなぁ。
この時代の戦争と言えば、大抵は中国戦線に配属されただろう。
姉にしがみつくシーンがあったけど、当時の若者の気持ちがよく表現されていたのでは。
あの当時の招集令状は配属先と配属日だけしか記入されていなかった。
配属期間(いついつまで)の表記はなかったように思う。
つまり、無期限所属と言うことになる。
命がいくつあったって足りないだろう。
ツヤと梅吉
大阪でのツヤと梅吉の様子もしっかりと描かれていた。
特にツヤが何を考え感じていたかが詳しく語られることになった。
ツヤは自分が死ぬことを既に受け入れている様子。
しかし、自分が死んだ後スズ子の本当の母親キヌが自分の知らないスズ子を見ることができるそのことを激しく嫉妬していた。
そして、梅吉に一言
性格悪いやろ😓
自暴自棄とも取れる発言だが、死ぬ間際になってもスズ子可愛いさはいささかも衰えることがなかった。
自分だけがスズ子の母親なのだとツヤにしてみれば決して譲れない部分だったんだろうな。
ハハキトク
舞台に向かおうとするその時大阪から電報が届く。
それは母親が今にも死にそうな状態だと言うこと。
思わずその場にへたり込んでしまうスズ子。
自分が何をすべきかとっさには思いつかない。
確かに自分の身内がもうじき死ぬって時に冷静でいられる人なんかいない。
スズ子とツヤは本当の親子ではないが、それ以上に強い絆で結ばれているのだろう。
ツヤはスズ子が自分の出生の秘密を知るのではないかと心配していた。
最後まで秘密を隠し通したい。
物語ではスズ子は自分自身の出生の秘密を全て理解していて、その上で母親には知らないふりを押し通していた。
なるほどと言っていいのかどうかわからないが、スズ子とツヤの親子関係は本物以上に濃厚なものを感じる。
お互いに相手のことが大切で、そばにいて欲しくて仕方がないからに違いない。
舞台人の矜持
スズ子は大阪に帰るべきか東京に残るべきか迷っていた。
気持ち的には直ちに大阪に帰って母親に会いたい。
残酷なことだが、ステージに立つ者は親の死に目には会えないと昔から言い伝えが。
そのことを乗り越えて舞台に立たねばならない。
要するにお客さんにとっては関係のないことなので。
羽鳥善一はそのことをにこやかに、しかしきっぱりと申し渡していた。
スズ子は母親のことを考えれば、ステージに残って自分の務めを果たすことこそが取るべき道だと自覚。
全力のステージを務め上げる。
そしてスズ子の後で指揮棒を振る善一はスズ子の計り知れない決意を感じ取るのだ。
ステージに生きるものとして全力で自らの役目を演じる。
それは根性とか努力とか通りいっぺんの批評が通用する世界ではない。
モデルとなった笠置シズ子の一生を調べてみると、この物語と同様の人生を送っていることがわかる。
特に冒頭で紹介した六郎のモデルは笠置の弟八郎のことを示している。
彼女の弟は、1941年に戦死とあった。
つまり今描かれた物語の設定から数年後には戦死の報告が届くのだ。
流れとしては母ツヤはもうじき死ぬことになる。
そしてその数年後に弟も亡くなる運命に。
この時代、本当に明るい話題は無いなと思い知らされる。